PROFILE
2003年に椎名林檎ライブツアー「雙六エクスタシー」のツアーバンドとして結成され、翌2004年5月31日に正式なバンドとして始動を発表、同年9月シングル「群青日和」にてメジャーデヴュー。バンド名は活動拠点であり結成した所でもある東京と、結成時に集まったメンバーを見て「これは凄い。これは事件、否、事変だ」と林檎が感じた事により命名された。
バンド→ソロという事は多々有るが、ソロ→バンドというのは非常に珍しいケースといえる。元々林檎はバンド形態でのデヴューが希望であったが、大人の事情によりやむなくソロデヴューとなった経緯があった為、バンドデヴューは長年の悲願だったようだ。だが既にソロとして成功を収めている林檎がバンド名義にする事は、収益面や人気の点に於いてEMIをはじめとする周囲の反対は多々あったと林檎は後に語っている。しかし林檎はそうした危険性や収入面の問題よりも自らの信念を貫いた。一度決めた事は必ずやり遂げる。それが彼女の信条だからだ。だが折角組んだバンドも翌年の全国ツアー終了後、またもや大人の事情によりギターと鍵盤のメンバーが脱退する事態となり、林檎は新たなメンバーを探しに奔走する事となる。
その後紆余曲折あった後、現メンバーの伊澤と浮雲が加入する事が決定した。以後ファーストアルバムまでのメンバーを一期、現在のメンバーは二期と呼ばれている。脱退した一期の二人は比較的優等生タイプであったが、それとは対照的に二期のギター浮雲と鍵盤の伊澤は自分の意見を遠慮なくぶつけてくるタイプであり、セカンドアルバム制作にあたっては林檎と衝突する事も多々あったようだが、林檎自身は寧ろそうした事を望んでいた節があり、表面上では怒り心頭であっても内心ほくそ笑んでいたようだ。
ソロとバンドで基本的に林檎の音楽に対する姿勢に然程違いはないが、林檎以外のメンバーが曲や詞を書く機会が出来たという事がソロ時代との一番の違いではないだろうか。これは事変がデヴュー曲にいきなりH是都Mが書いた「群青日和」を持ってくるあたりに、ソロとの決定的な違いを感じとれる。ソロ時代は一部例外やカバー曲はあるものの、基本的には林檎自身が作った曲と詞を自分で演るというスタンスだったが、これからは自分以外のメンバーが書いた曲を沢山演っていきたいという強い林檎の思いがあった。林檎がメンバーを選考するにあたり一番重視しているのは、優れた作曲能力だという林檎の発言もある。そして「いずれは全曲自分以外のメンバーが書いた曲だけで構成されるアルバムを出したい」という林檎の発言は、2007年に発売されたサードアルバム「娯楽」で現実のものとなった。だが特に熱狂的な古参のソロ時代からのファンなどは、林檎の曲と詞と歌の三点セットに惚れていた訳で、アルバムに林檎曲が一曲たりとも無しという事態に戸惑い、また曲自体も林檎曲とはかけ離れた曲が多数あった為、これまた賛否両論巻き起こる事となった。しかしこのアルバムによって浮雲や伊澤の魅力を深く感じ取る事が出来た上に、また改めて林檎曲の重要性が認識出来たという事も事実であり、東京事変がバンドとして一皮むけて一段次のステップに上がる為には、このアルバムは必然だったのかもしれない。
首謀者(メンバー)
椎名林檎<ヴォーカル>
東京事変を創設した張本人であり事実上のリーダー。バンドの曲と詞の大半は彼女が書いている。その一方ドラムの刃田や実の兄である椎名純平、そして自らも所属する芸能事務所「有限会社黒猫堂」の代表取締役社長も務める。社長として、母親として、音楽家として、そして一人の女として、圧倒的な歌唱力と存在感でバンドを引っ張り続ける東京事変の象徴であり、歌舞伎好きなバツイチ&子持ちの再婚を夢見る乙女(?)である。
亀田誠治<ベース>
武道館や渋公が出来た1964年にNYに生まれる。が、生まれて間もなく日本に来た為に英語は余り堪能ではないようだ。愛称は師匠。現在は東京都世田谷区在住。国内の様々なアーティストのプロデュース、アレンジ等を精力的にこなしておりバンド内では林檎以上に多忙であるが、常に笑顔を絶やさず周囲に気を配る絵に書いたような人格者であり、愛妻家でもある。ヴォーカルの椎名林檎とは彼女がデヴューする前からの古い付き合いで、彼女からの信頼は絶大。アレンジャーを主な生業としている師匠ではあるが、東京事変では一ベーシストとしての役割を重視して参加している。だが依然としてバンド内での影響力は絶大であり、ムードメーカーとしての役割も果たしている。また師匠の書く曲はクセがないので聴きやすく、その人柄同様優しく暖かみのある曲調はJ-POPの王道的な曲とよく評される。ライブではバンド内でMCらしいMCが唯一出来る貴重な人材。喋りがオカマっぽいとか言うな。
刄田綴色<ドラム>
1976年島根で生まれ現在は東京都三鷹市在住。左利きで本名は畑利樹。幼少期から神楽舞を習っており、そこで培った華麗な身のこなしや身体能力が彼の華麗なドラムさばきに生かされている。元々はScopeというバンドに所属しており、それと平行して椎名純平率いるEvil Vivrationsでドラムを叩いたりしていたのだが、その縁で知り合った椎名林檎に誘われ2003年に「雙六エクスタシー」のツアーバンド「東京事変」に加入し現在に至る。ライブツアー「Just can't help it」でのエアーサッカーと「いまだに仕送りで生活してま〜す」は必見。現在の所属は黒猫堂。
晝海幹音(一期)<ギター>
長い髪と妻夫木似の美形が印象的なギタリスト。林檎とは10代の頃からの古い付き合いで、彼のギターを気に入った林檎自ら事変加入を要請、所属事務所も正式に黒猫堂に籍を移す。事変の活動とは別にソロ活動も行っており、一部の女性事変ファンに大変な人気を博したりもしたが、ツアー終了後突然脱退が発表され黒猫堂からも離脱する。本人曰く「自身のソロ活動に専念したい」との事だが、脱退に理由に関しては諸説ある。現在はトレードマークの長髪を切り地道なソロ活動をしている。
H是都M(一期)<鍵盤>
東京事変結成にあたり新しい鍵盤を探していた林檎が、当時同じレコード会社だったPE'Zの鍵盤ヒイズミマサユ機を紹介され加入を要請。両事務所やPE'Zファン内で一悶着あった後に正式に加入が決定した。東京事変デヴュー曲「群青日和」は彼が書いた。ツアーバンドの時はヒーズミマサユ季と名乗っていたが、正式なバンドデヴューにあたりH是都Mと改名。時にピアノを破壊してしまう程の激しい弾きっぷりと、演奏中に椅子の上に立ったりマイクスタンドを掴んで動かしたりとやりたい放題だったが、ヒラマと時を同じくしてdynamite!ツアー終了後に脱退を表明する。現在でも彼の脱退を惜しむ声は多い。
浮雲<ギター>
ヒラマが抜けた後、新しいギタリスト探しは難航を極めたが、最終的には以前から林檎と親しかった浮雲が事変加入を快諾。林檎曰く「灯台下暗し」だったそうだ。浮雲という名前は彼がいつもフラフラしてて何所に行くのか分からないという事から林檎が名付けたのだが、その正体は下北を中心に活動しているスリーピースバンド「PETROLZ」のリーダー長岡亮介である。Evil Vivrationsに加入していた事から林檎や刄田との付き合いは古く、「加爾基 精液 栗ノ花」でギターを弾いていたり「迷彩」のPVにも出演していた。彼の書く曲は師匠とは対照的にクセが非常に強く、比較的人によって好き嫌いがはっきり分かれる。その辺りも含め浮雲らしいといえば浮雲らしい。都内ならば殆ど自転車で移動するという強者であり、事変で一番のモテ男でもある。オヤジもかっこいい。
伊澤一葉<鍵盤>
岡山県倉敷市出身。実家は地元では有名な会社を営んでいる。出身音大の友人で前鍵盤のH是都Mからの紹介で事変加入。自らがヴォーカル鍵盤を務めるバンド「あっぱ」の活動もある事もあり、当初は事変加入には難色を示したが、最終的には加入を決断した。加入当初は前鍵盤のH是都Mが人気者だった事や挑戦的な言動、「秘密」「透明人間」等のアレンジ等が一部ファンの反発を招いたりしたが、現在ではそういったファンも彼の実力を認めざるを得ない状況になり、彼のユーモアなキャラもあって人気も出てきた。またH是都Mとは対照的に大人しく丁寧な演奏だが、JAZZをベースにしたアレンジやフレーズに彼の優れた才能を感じる事が出来る。そしてライブでは寒いギャグで熱くなった会場を一気に冷やしてくれたりする。例:「イザバウワ〜!」「ゼップ!!」
ライブ
基本的に歌ってる人も聴いてる人もソロ時代と変わらないので、ライヴ自体も然程違いはない。只ソロとは違い林檎以外のメンバーも正式なメンバーなのでMCもちゃんとあるし、曲を作ったり詩を書いたりする。従って当然ソロ時代と比べれば林檎色は薄れるし林檎自身も一歩引いた感じで、衣装もソロ時代はコスプレや奇抜なメイクでビジュアル系的だったが、事変ではナチュラル路線で以前のようなエキセントリックさはなくなった。これは現在でもファン内では賛否が分かれるところではある。
チケット
これもソロと同じで公式ファンクラブ「林檎班」での入手が望ましい。しかし残念ながら現在はソロ時代のような人気はないので、チケットは大分取りやすくなっている事は確かだが、それでも林檎班以外の入手はまだまだ難しい。
客層
演者も歳をとればファンも当然歳をとる。高校生の頃に林檎にハマった学生も今やいい歳をした大人な訳で、ノリも当然落ち着いてくる。20歳では許されるコスプレも30歳では許されない(笑)。それに林檎自身もナチュラル路線になった事もあって、現在はコスプレ等のファンを見ることはほぼなくなった。因みに東京公演の関係者席には有名タレント、芸人、親族、同業者、歌舞伎役者等の皆様がいらっしゃいます。